初夏の日差しならば、この世の全ての緑が桜の木に見える気がするのに。
 本日はあいにくの雨である。


  009:かみなり


 曇った窓ガラスをたとえ開けようとも、地面へ叩きつける雨とそれの蒸気で、外の世界は白んでいた。

「今日は部活、中止ですね…」
 鳥居凪は残念そうに、ガラスの外を見やり、呟いた。

 中間テストを控え、部活禁止令が発動している。
 それでも一時間はせめてやろうという殊勝な声がこっそりと上がっていたのだが、これだけ雨が降っているとどうにもできそうにない。
 廊下での筋トレも、テスト前ということで大っぴらにはできそうもない。
 できそうもないが重なるときっともう「できない確定」だ。

 凪は気持ちを切り替えた。

(皆さんに休んでもらう、久々のチャンスの日ですね)

 ならばこの雨も恵みの雨と言って良いだろう。





 とりあえず、と、彼女は廊下に立ち止まっていた所から歩き出した。
 ふと、部員の一人の口癖だったと、その愛犬の名前であったと思い出し、苦笑する。
 その人を思い出すとき、セットで出てくるのが猿野という部員である。
 二人はいつもじゃれあっていて、きっとあれが彼らのコミュニケーションなんだと思う。

(本当に、無茶ばかりして…楽しい人…)

「失礼します」

 入ったのは職員室、探しているのは部室の鍵。
 しかし鍵はいつもの場所にない。
 手近な教師に聞くと、誰か男子生徒が持っていったとのことだった。


 誰か、というと牛尾キャプテンではないだろうな、などと思う。
 目立ちすぎる。
 あまりに有名な何人かを消去法で消したところで、部員の多さに見当も付かない。

 職員室に鍵がないということは誰かが部室に居るということだ。
 ならば自分の用事も済ますことができる。
 そう思って職員室を出た凪は、大き目の手提げ鞄を右肩にかけ直した。

 荷物を濡らさないように慎重に赤い傘を開ける。
 兄に買ってもらったそれは、小学校から使っているもので、多少自分の身体に合わなくなって小さく感じてはいたがそんなことは関係なくお気に入りのものだった。

 生温く、湿っぽい風が凪の髪を撫でる。
 傘から滴り落ちてくる水滴をぼんやりと見ながら、ふとあの頃を思い出した。



 雨は小さい頃怖くて堪らなかった。
 本当はかみなりが怖かったから、雨はそれの相乗効果と言ってもいい。

 今は、たぶん、たぶん…平気だ。
 そう思いたいだけなのかもしれないが。



 凪は一つ息を吐き、ため息に似たそれは硬式野球部部室のドアの前で散った。
 控えめにノックをし、「入りますよ」と声をかける。
 返事がないのにいささか躊躇ったが、ここで立ち尽くしている訳にもいくまい。
 紺色の傘が一つ、部室の横に立ててあった。
 よし、と気合を入れた後、その横に自身の赤の傘を並べた。

「…すみません、入ります、よ?」

 ドアノブの手を右に回すと、かちゃりと音がしてあっけなく開く。
 そこにあったのは、自分が覚えている無人の部室と違う点が一つだけあった。


「…猿野さん?」

 部室の壁にもたれかかり、寝こけている一人の部員の姿。


「んー…」

 返事をしたのかと思うほどタイミングよく彼は首をもたげる。

 可愛らしい寝顔、と称されたら猿野さんはどう思われるかな、と想像してみる。
 照れてしまうだろうか。

 そこまで思ったところで、凪ははっとしてドアを閉めた。
 急に小さくなる雨音。
 ざああという土にぶつかる音は、ふと優しいものなのかもしれないと思う。
 そんなことを思ったのは初めてで自分の考えに驚く。
 嫌いだったものが優しく思えるなんて。

 そっと彼の足をまたいだ。
 彼の寝ている奥のロッカーに、監督から頼まれていた書類の束を仕舞っておくこと。
 それが今日、凪が部室に来た理由だ。

 ぎしり、と床がきしむ音がやけに響くようで、それでも外からの雨音にかき消される。
 優しい音は凪の耳の遠くで鳴っている。

 ロッカーに紙束を仕舞い込むと今度はまた、彼をまたいで部室を出なければならない。
 ドジな自分のことだ。
 踏んでしまわなければいいが。


 そう、慎重に思っていたら、瞬間的に世界が明るくなった。
 そして。

「っ…きゃああっ!」

 かみなりの音が鳴った。

「な、何だ!?」
 寝こけていた男が慌てて周りを見渡した。

「…っな、凪さん!?どうされたんですかっ!」
 かみなりの落ちた音というよりも凪の悲鳴で起きた猿野はロッカー横でうずくまっている凪に声をかける。
 状況がさっぱり把握出来ていないようだ。

 何故彼女はこんな所で小さくなっているのだろう。
 そもそもこの部屋には自分しか居ていなかった筈ではなかろうか、と。

「まさか痴漢とか強盗とか…」
 凪さんは可愛らしいから、と、俺が守るぜ、と、続けようとした所、彼女が手を上げた。

「あの、ごめんなさい、私」
 待って、違うのです、と言おうとするかのように差し出された手は、すぐに引っ込められた。

「…っきゃあああっ」

 第二陣。

 猿野は凪の敵を発見した。

「えーと、凪さん?」

「…い、未だに、慣れなくて、かみなり…」

「怖いんっすか?」

「…は、はい」

 恥ずかしながら…と続ける凪に抱きしめたくなる。
 可愛い。

「えと、大丈夫っすよ。さっきのかみなり、光ってからちょっと時間あいて音鳴りましたよね」
 ぽりぽりと猿野は頬を掻く。

「確か、時間差があると遠いらしいです。だから大丈夫っすよ」

 あまり勉強は出来ないと猿野は言うが妙な雑学は持っているものである。

「本当、ですか?」

「…ハイ」

「そう、なん、ですか…」
 どこかほっとした、表情を、猿野に見せた。



 そんな些細な知識が、凪の為になる知識になるのならば、本当に嬉しい。
 彼女を大切にしたいと想う。
 彼女を大切にしたいと願う。


 そんなことを、今猿野が考えていたとは、夢にも思っていない凪であったが。


「あ、あと、光ってから数、かぞえたりするといいみたいっすよ。
 心の準備が出来るそうです」


 に、と口の端を思い切りあげて微笑んだ彼に、感謝する。

「…猿野さん」
 唐突に呼ばれた名前にびくりとする。


「一緒に帰りませんか?」




 彼が「勿論」だか「喜んで」だか、そのあたりの言葉を発して快諾したのは言うまでもない。








 雷光があった。

「いち、に、さん、し、」

 雷鳴が轟く。



 ああ、本当だ。
 怖いものではない。

「なんか、ゲームみたいな気、しません?」


 赤い傘と紺の傘が、並んで、小さくなってく。









 かみなり、私は好きなんですが。
 そーいえば自分宅の近くに避雷針があったような。




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