「なぁ火村。なんで俺らは通勤電車に乗ってんねんやろな?」
「そりゃ現場に行くからだ、と丁寧に答えて欲しいのか?」
030:通勤電車
朝の通勤、通学ラッシュ。
大阪環状線、内回り大阪行き、午前8時10分。
丁度一番混む時間帯だ。
「なんやねん、そんな言い方せんでもええやろ」
「根暗な生活してると電車も乗らねぇのかアリス」
「違うわ。俺が言うてんのは通勤電車や。こんな押し寿司みたいなんは久々やからな」
この辺りには高校が密集しており、高校生も引きつった顔で乗車している。
こちらの野球部らしき彼はふらつきもせず立っているが、その横で彼と話をしている彼女は文化系のクラブなのかこのまま20分寿司詰めならば貧血で倒れてしまいそうだ。
ただ話の内容から次の駅で降りる高校の生徒なのだろうとは思うのだが。
至近距離でピープルウォッチングをしていると不審人物に思われかねないことを思い出し、私は視線を火村の方にやる。
「職業病も大変だな」
「…うるさいわ」
からかい気味の火村にパンチでも繰り出してやろうかと思ったが、その瞬間がたんと音を鳴らして電車が揺れた。
空気が薄い。
いや、薄いというより濃いのかもしれない。
息苦しいのだ。
良く会社員は毎日毎日このような空気を吸って通勤しているな、と感心する。
私はこの後小説を書けと言われても到底やる気になれないと思ってしまう。
火村に言うと「それはお前がサボってるからじゃねぇのか」と言われそうだが。
駅に着き、先程の高校生は降りていった。
しかし電車の中の人口密度が低くなったのもつかの間、それより多い人が入って来た。
潰れる、潰れる、と思いながらも火村先生共々ロングシートの前のつり革にさえ触れない場所に追いやられてしまった。
情けなくもふらついてしまい、火村のコートのボタンに頭がこすれる。
「危ねぇな、アリス。くっつくなよ」
「俺かて好きで臨床犯罪学者にくっついてる訳やないわ」
火村愛用のコートに包まれるかのように密着してしまう。
…今ナイフを出して火村を殺しても周りに気付かれないんじゃないかというぐらい。
そんな私たちは今から殺しの現場に行く途中だ。
昨夜ミナミに私の誘いで呑みに来ていた火村は、今日日曜なのをいいことに私の家に泊まりに来ていたのだ。
そんな日に船曳警部から電話がかかってきたのが午前7時半だった。
私も火村も二日酔いもなく、慌てて電車に飛び乗ったという訳だ。
大阪で阪急に乗り換えて、と頭の中で電車賃を思い出す。
何回か行ったことのある場所なので目安の金額は覚えているものだ。
「冬や、言うのに暑いなぁ」
「お前そんなに電車に乗ってない生活してんのか」
「ここ二週間は食料品買うくらいしか家から出てなかったからな」
「売れっ子は困る、なんて思ってんじゃねぇだろうな」
「売れっ子やのうても締め切り前は缶詰めになるもんや」
冗談を返す気分にはなれずうんざりとため息をついた。
毎回思うのだが締め切り前には余裕を持って片桐さんに原稿を渡したいものだ。
そして毎回、今回は大丈夫だろうと思って結局最後の一ヵ月は必ず焦ることになる。
大阪、大阪。車内放送にほっとした。
この駅でどっと人が降りるのだろう。
急に寒さが押し寄せ、逆に流れのまま押し出されて、今度はところてんかと思いながら改札でICカードを乗せる。
「流行に乗じたやつだな」
「ええやんか。便利やで。まぁ京都拠点の君には無用のものかもしれへんけどな」
イコカでいこかー、とCMを真似て呟く。
京都でも使えることは使えるが、火村の日々の交通手段にJRは含まれていないためだ。
ぴこぴことICカードをもてあそびながらふと思う。
定期がICカードになったとしても、電車を毎日利用している人は毎回同じメンバーと顔を会わせてるんだろう。
それはいつの時代も変わらず一緒なんだろう。
一期一会という言葉を思い出した。
人ってのは不思議なものだ。
縁ってものは、運命ってものは。
今日だけ通勤電車ですれ違っただけの人も居れば、火村のようにちょっとしたことで出会ってからずっと友人関係を築いてこれている人も居る。
今朝殺害された人も殺害した人も居る。
一期一会か。
ならば、この友人との出会いを大切にしよう。
この友人の危なげな、儚げな部分をあらわにしてしまったとき、及ばずながらフォロー出来るように。
「何か考えてるな?」
「…いいや、何も。ただ黙ってただけや」
「そうか」
とにかく今は、今からの事件の推理やらに気を引き締めなければ、と思った。
…ええ?随分通勤電車の話題から逸れてしまいました。
有栖川シリーズ大好きです。特に『蝶々がはばたく』が。(『ブラジル蝶の謎』に収録)
火村先生大好き大好き可愛い〜っ。このSSに可愛らしさが出せなくて残念です。
イメージは鶴橋ぐらいから大阪へ行く感じなのですが、アリスは夕陽丘なら地下鉄使う人ですかねー?
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