貴方が好きです。

 本当にどうしようもない程に。




  040:小指の爪




 私の好きな人は本当に一生懸命な人。
 一生懸命で、最初は決して上手くなかったサッカーが見る見る上達した。
 間近でそれを見れた私は幸せだと思う。

 ルールも何も分からない状態でたまたま見た試合。

 うちの学校のサッカー部が今度試合するんだって。
 二年の先輩格好良い人多いんだよ。

 そんなの、全部吹き飛んだ。

 ぼろぼろになって、転んで、這いつくばって、見てるだけで、私まで痛かった。
 私がその試合に出てるわけじゃないのに。
 終了のホイッスルが鳴った瞬間、涙と震えが止まらなくなった。

 どうしてそこまでやるの?できるの?
 ねえ先輩。
 でも、その答えなんてすぐ目の前にずっとあったの。

 サッカーが好きだから。……ですよね?








 そして、私はその悪魔の知らせを、どこでどう誰に聞いたのか、さっぱり覚えていない。
 ―――風祭先輩が、怪我をした……?
 足がすくんだ。
 目の前が真っ暗になった。
 血液が、身体中からどこかへ抜けていった。




 でも、たいしたことないって聞いて、この前の試合は出れなくて残念でしたね、なんて言って、だからどれだけ症状が悪いのかなんて理解してなくて、だからそれがどれだけ先輩を傷付けてるかなんて思わなくて、本当は励ましてるつもりで、事実が分かった時、私はただ愕然としたのだ。

 ああ、泣きたくなるけど泣く暇も余裕も、今、ない。

 どうしたら良いのか分からなくて、ただ先輩が怪我をしたらしいと聞いたときとは比べ物にならないほど足がすくんで、血の気が引いた。
 きっちりとノリが入った制服のスカートを握り締めると、その硬さがもどかしかった。

 たった数秒前を反芻する。




「僕、ドイツに行こうと思うんだ」

 突然の報告に、誰もが驚きの表情を見せた。
 思えばその日はおかしかった。
 引退したはずの三年生が、全員揃っていたから。

 二、三年でぎゅうぎゅう積めの部室と、はみ出て地面に座り込んでいる一年の部員。
 先輩の一生懸命さに惹かれて集まった人たち。



「僕の怪我、ちょっと酷いみたいでさ、手術とリハビリ、向こうでやってくる」

 私が何もかもを理解しないまま話は進んでいく。

 へらっと、くしゃりと、ああ、いつもの先輩の笑顔だ。

 どうして笑えるんですか?
 私は、何が出来る?


 先輩の真っ直ぐな気持ちに当てられてサッカー部に入部した。
 でもその先輩がドイツに行ってしまう。

 私は、何をしたら良い?
 私は、何をするべきなの。




 ―――私は、大好きな人をきっと傷付けました。
 遠い目標だったけど、存在は近かった。
 手を伸ばせば、そう、ユニフォームの裾をこっそりと触れることが出来る程度には。
 けれど存在まで遠くなってしまう。
 自分勝手な言い分だと、分かってはいる。
 けれど、私からすれば、地図帳の中にしか存在しないような場所へ、考え付かないような場所へ行ってしまう、それは想像もつかないのだ。

 もう一生追いつけない。
 手に入らない。







「……桜井さん?」
「……え?」

 水野先輩はいくらか逡巡して、平積みにしていたタオルの一番上から一枚を手渡してくれた。
 どうして先輩はタオルなんて、と、一瞬でも思った私が馬鹿だった。
 私が泣いてる。

 何て、身勝手な。

 泣いている自分が恥ずかしくなって、必死で止めようとする。
 制服の袖で拭って、思い出したようにタオルで拭って。


「嘘…」

 呟いてぺたんとその場に座り込むしかできなかった。呆然としすぎて、ドイツってどこですかと問うてしまいそうなほど。……実際どこか分かってはいなかったが。




「みゆきちゃん?」

 風祭先輩が私に手を差し出した。

 ああ、こんなときでも、思う。
 私はこの人が好きだ。

 貴方が好きです貴方が好きです貴方が好きです。

「うん、指きりしよう」

 風祭先輩は私に向けていた手を、小指を差し出すように変えた。

「僕は絶対ここへ帰ってくるから。約束。」

 差し出された小指に、自分の小指を絡ませて、どうしてこんなにドキドキするの。
 先輩の肌は暖かくて、だから一層切なくて、ぎゅっと力を込めると、先輩も同じようにしてくれて、溢れてる。

「……約束、ですよね?」
「うん」

 小指から思いが溢れてくる。触れている部分からきっと告白してる。

 指を離すとき、名残惜しくてほどきたくなくて。






 先輩の、小指の爪が、私の小指の腹に当たった気がした。

 そして私は、ただ一人で立ち上がった。








 乙女チックみゆきちゃん。
 これはみゆきちゃんと小島さんはサッカーに対する気持ちで根本的に違うよなあと感じたところから出来ましたー。
 もしこの怪我が水野だった場合、小島さんは、サッカーをやめるなんて思わないと思うんですよね。けど、みゆきちゃんの場合、サッカーに対する思い入れが、風祭に起因しすぎる。サッカーをやめてしまいかねないと思うんですよね。で、出来上がったものはサッカーをやめるやめないの話とは全く違うものになっていますが。
 でも、この風祭との指切りによって、みゆきちゃんはきっとこれからもサッカーと付き合っていけると思うんです。帰ってくると言ってくれただけで、風祭という存在を諦めないですむんです。それって凄い救いになるんじゃないかなと。









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