笠井竹巳の趣味が釣りとピアノだという事は、武蔵森サッカー部の中であまり知られている所ではなかった。 095:ビートルズ サッカー部で趣味を持っているなんて知られたら、どうにも居心地が悪くなるだろうと予想できる。武蔵森学園の中のサッカー部という小さな、しかし彼にとっては最大の社会で生き残るための、彼なりの配慮でもあった。一軍入りするために、又、一軍から落ちないためにはサッカー一筋であるように見せたほうが得だからだ。 なのに。 「たーくたくたくたくっ。次は俺ね!」 「ああ?何言ってんだバカ代。俺様の番だろうが」 「二人とも、笠井が困ってるのが分からんのか。笠井、俺のリクエストはだな…」 「ああーっ、キャプずるいっすよ!!」 なのに、何故俺はピアノの前で座っているのだろう。 …答え。つい言っちゃったから。 自問自答して溜息を吐く。そして座りなおす。 「適当にじゃんけんして決めてくださいよ。俺、後もう一曲しか弾きませんからね!」 口論する三人に向かって声をかけた。 思い起こせば二時間前のことである。サッカーの練習の休憩時間に藤代が言い出したのだ。 「俺これ出来ますよ!」 サッカーボールを頭の上に乗せて、頭のみのリフティング。「サル」と一言三上は切り捨てたが、そこから特技の話になった。三上の円周率50位までの暗記は有名だったが、そこで笠井に話が振られた。 「……ピアノ」 ぼそりと言ってしまった言葉に、しまった、と笠井は口をつぐむ。ピアノは女の子の趣味といった認識がやはり広い。しかも笠井が弾けるというのは誰も知らなかった。かなりのどよめきと聴いてみたいとの声が上がり、「大したものは弾けません」と言う笠井の言葉も無視された。 しかし盛り上がった話は監督の練習再開の声によって遮られた。それもつかの間、練習が終わったときにその話題は盛り返した。 「タクー、俺ピアノ聴きたいー!!」 いくら拒んでもしつこく言ってくる藤代に、これ以上嫌だと言い続けるともったいぶっているようではないかと判断し、しぶしぶOKを出した。 それに乗じて音楽室についてきたのは三上と渋沢である。 笠井は気付かれないように溜息を落とすしかなかった。 自分は、包容力があって中学生ゴールキーパーNo.1と言われる渋沢とは違う。サッカーセンスが抜群で底抜けて明るい性格の藤代とも違う。彼らは、ある種「特別」だ。趣味を見せても支障がない。彼らを認めていない人間など武蔵森サッカー部では極少数であった。それも単に妬みで認めていないだけで、実力で彼らに敵う人間が居るわけではない。つまり、彼らのポジションは安定しているのである。 俺様でフィールドの中でも外でも人を使うことが巧い三上も、現在の趣味と言えるインターネットも、二年の時はパソコン室でたまに見かける程度だった。お前の代わりなんて掃いて捨てるほど居るんだからな、と、監督はいつも言っている。そして、それは事実だ。 数曲弾くと、笠井のピアノの腕がかなりのレベルであると三人は認識したのか、どんどんと色々な曲を要求してきた。流行歌も笠井は数度聞いたことがあるものであったら、思い出しつつ弾けたから彼らが調子にのったのも無理はないのかもしれない。 結局じゃんけんで勝利を収めたのは三上だった。 「ずっりー!」 「お前な、公正にじゃんけんしただろうが!」 藤代の大きな抗議の声に三上のげんこつの音がかぶさる。 「藤代、また今度弾いてもらえ。今回は仕方ないだろう?」 渋沢のフォローの声に、実は笠井はうんざりした。また今度と言うことはまた次の機会ということで、ということはまた弾かないといけないことではないか。弾くのはかなり好きだが、もうちょっと自分のポジションが安定してからにしてほしいと切実に思う。 「じゃあ三上先輩ですね。何にしましょう」 しぶしぶ伺う。早く帰って風呂に入りたいと笠井は思う。 「そうだな、じゃあ、ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」 「…え?」 三上のリクエストに戸惑う。 「知らねえ?ビートルズの曲だけど」 「いえ、ちょっと意外だっただけです」 「なんでだよ」 「いちごですよ。永遠ですよ。三上先輩に似合わな」 言い終わる前に、先ほどの藤代同様げんこつが目の前に見えると、笠井は大人しく口をつぐんだ。わざとらしく咳払いを一つ。 「んじゃ、弾きますよ」 同じビートルズでもLet it beやイマジンやら有名どころを持ってこないのが妙にひねくれた三上らしい。しかし優しい音色のこの曲に、ピアノの音は柔らかく良く合っていた。曲に合わせてタッチも優しくしてやると、笠井は三人の息遣いが変わったのを背中で感じる。 三上が口ずさんでいるのを、笠井は何故か嬉しく思った。乗り気ではなかったのに、今弾いていて嬉しいと思う感情が湧いてきたのは、この曲のせいだと思う。ビートルズの音楽にはこういった不思議な魅力がある。世界中の人間がこのアーティストたちの音楽のとりこになっているのは理由があるというわけだ。 ポーン、と最後の音を響かせて、音に震えが出ないように鍵盤からそっと指を離す。鳴らすときよりも指を離す瞬間の方が、笠井はピアノを弾く上で気遣っていた。 ま、たまに人に弾いてあげるというのも悪くないかもしれない。 「タク!今度ドラゴンボール弾いてくれよな!」 たまには、だけれど。 まとまりのない文章でごめんなさい…。最初の数行は005番の「釣りをするひと」の予定で書き始めていたなんて誰が思うでしょうか。どうにも笠井少年には釣りよりピアノを弾く方が浮かんでしまって、じゃあテーマは変えずに釣堀へ行くんじゃなくて音楽室に行きましょう、となったのでした。 Back |