しゃきん、しゃきんと耳にくすぐったい音がする。
 水野の指が私の首に触れた。



    『髪』



「ちょっと、刃物使ってるんだから驚かせないでよ」

 小島の批判に水野は手を止めた。
「仕方ないだろ、素人なんだから」
 慎重にはさみに付いた真黒い髪をこそぎ落とす。細かい髪にまみれた手からも丁寧に払う。水野は見ためどおり割と神経質な面があるのだ。小島はその様子をジト目で見ながら機嫌が悪い風を装う。
「おまけにスーパーの袋だし」
「本格的な道具ないんだから我慢しろ。文句多いぞ」
 スーパーの赤いロゴマークがついた袋の底に穴を開けて、そこから頭を出している小島が口をへの字に曲げた。それでも不服だ。切り口が首にかゆくて仕方ない。
「だって…」
「夕子先生にもう一度切ってもらうよりましだと思ってください小島さん」
 小島は息を飲み込んだ。否定できない。大人しく黙って切られることにした。

 目の前の水道からぴちょん、と水がしたたり落ちた。いくつか並んでいる蛇口が横に曲がったり上を向いたりしている。蛍光灯がなんとなく目に痛い色で光っている。外は完全に紺色まじりの黒の世界で、今は夜ですと主張しており、開いている窓は吸い込まれそうな闇とこちら側を繋げており、閉まっている窓は蛍光灯を反射させていた。そこから下に目を動かすと三つ鏡が並んでいる。小島の真正面の、その中の水野と目が合った。真剣な表情で左右のバランスを見ている。鏡越しに目が合ったことに気付くと水野はその表情を緩めた。

「ったく、お前も無茶するよな」
「いいでしょ、さっきケジメだって言ったじゃない。セレモニーなの」
「だからって女がくくってる髪をそのまま切ってもらうなよ」
 しかも夕子先生に。小島は女が、という部分に多少カチンときたが、
「だから後悔してるって言ってるじゃないの、ここまでざんばらになるとは思ってなかったのよ…!」
 反論も出来ないが、どうにか喧嘩腰で後悔の念を表す。鏡を見てショックを受けたのが十分前。自分で整えようと思って廊下に出たとき運悪く水野に発見されてしまったのが九分前、説得されて水野に切ってもらうことになったのがついさっき。ありあわせの道具―工作はさみ、小島のブラシ、水野のクシ、スーパーの白い袋―で。教室から椅子を持ってきて普段は雑巾を洗っている手洗い場の前の廊下で。
 しゃきん、しゃきんと音が響く。

「丁寧ねー、水野」
「思い切り切ったらどんどん短くなるだろ」
「……まぁいいか、シゲよりマシだわ、きっと」
「…?シゲは俺より器用だろ?」
 水野は小島の毛先をがさがさと払って髪を飛ばした。廊下掃除もしなければならないかもしれない。小島の右手にあったくしで整え、それをまた返すと、まっすぐ横に切られた髪をすくように目を細めながら縦にはさみを入れていく。
「器用だけど絶対どさくさにまぎれてちょっかい出してくるわよ」
 くすぐるとか耳に息吹きかけるとか。

 ちょきん。
 縦に入れたはずのはさみは、ななめになって多めにはらりと髪が落ちた。
「こっ、小島されたことあるのか…?耳…」
 明らかに不審な動きをする水野に小島は気付かない。
「耳に息かける?――昨日の夜されたわね、ちゃんと殴ったけど!」
 くしを持ったまま拳を握る小島の頭を水野は両手で押さえ、動きを止める。
 後で殴る、俺も絶対後で殴ると水野は誓った。
「……ん、でも、水野もくすぐったいよ」
「…え?」
「いや、首。指がさっきからぶつかってるのよねー」
 ふ、と水野は意識してしまった。小島の首に触れる自分の指先に。その感触、小島のすっと伸びた首元の端から覗くあごのライン、小島がやけに女に見えた。馬鹿馬鹿しい。女にこだわりすぎだと彼女に言ったのはほんの数時間前なのに、俺が女を意識してどうするんだと頭を振るが、体感温度は上昇するばかりだ。
「みずのー?どしたの?終わった?」
「…あ、いや、もう少し…」



 小さく震えた指先から小さく小さく緊張が伝わる。


 学校のローカに響くはさみの音。それはどこか怪談に出てきそうな音だと思ったが、不思議とそんな気分にはならない。こいつと居るからだろうか?だとしたら少し悔しくて少し嬉しい。



「…うん」
「できた?」
「どうだ?」
 小島は白い袋をかさかさと鳴らしながら髪を落とさないように首からはずした。少しの開放感に首を左右に曲げた。ビニール袋に巻き込ませるようにして、違う袋に入れた。後で捨てよう。これが女子トイレのゴミ箱から出てきて新手のいじめかと学校を騒がせることになるのはまた別の話である。
「んー、そこそこ」
「そこそこかよ」
「あ、上手い上手い」
「白々しい。まぁ、でもそこそこだな、素人にしては」
 髪の端をつんつんと引っ張りながら二人は品定めのように見やる。水野は小島が持っていたブラシを取り上げると丁寧にといた。それからブラシもはさみも小島に預けると水野は手を洗った。軽く手を振ってから濡れたまま小島の髪を両手で内巻きにするようにまた軽く引っ張った。耳に髪をかけると、心の中で、上出来だと自己満足した。

 また、鏡の中の小島と水野は目が合った。水野は髪をいじりながらも目をそらさない。小島はそれに耐えられなくて目を下に向けてしまった。
 水野は小島の首元に髪を見つけた。払い残した、真黒い、真直ぐな一本の髪。こんなところに何となく小島らしさのようなものを見つけて。左手でついとつまむと、そのまま顔をうずめた。そして。

「…は?何やってんの?」
 小島の耳の中で、空気が動いた。


「……〜っ、死ね!」
アンブロ仮面の肘鉄は、見事に不埒な少年・水野竜也君のみぞおちにクリティカルヒットした。
「〜〜っ、耳ん中に細かい髪が入ってて吹き飛ばそうとしたんだよ!」
「もうちょっとマトモに払いなさいよバカ水野!」
「だからって息詰まるほどの肘鉄はないだろ!?」
「何よムッツリ!水野のスケベ!」
「知るか…!」
「うーわー、不利になったら逃げるんですかー、だから水野はへタレって言われるの!」
「誰にだよっ…!」
 水野少年が本当に耳の中に髪が入っていたから吹き飛ばそうとしたのか、佐藤成樹に対抗してやってみたかは想像にお任せする。















「それにしても…」
「何よぉーー」
「いいでしょ?昨日の夜私が切ってあげたの」



「よかった、元気で」
「男より女の方がタフなんだよ」









あの夜のことは、なんとなく秘密。














 髪が女子トイレから出てきていじめ騒動は私が中学生の時の実話です(笑)。







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