松葉寮の暗黙の了解がいくつかある中の一つ。 「寮の屋上へのドアにタオルがかかっていたら『使用中』」 七夕 「笠井いるか?」 ノックもなしに無遠慮に開けられたその扉は笠井竹巳と藤代誠二の部屋。 「急に開けないで下さいよ三上先輩!」 反論するは藤代だ。 そもそも三上にこのような口の利き方をするのは二年生では藤代しか居ない。 彼は“無意識のチャレンジャー”と笠井に呼ばれている。 「後輩に人権はねぇんだよバカ代」 「ひっでー!」 「…人権の意味が解ったのか?」 「なんとなく悪口言われてる感じがしたんで」 「…やっぱり。で、笠井はどこだ?」 ドアに半分もたれかかりながら三上は部屋を見渡した。 この後輩をからかうのも楽しいと言えば楽しいのだが。 「竹巳ならさっき学校にピアノ弾きに行ったっス。凄ぇ上手いのに隠すからなぁ、竹巳」 なんでだろ、と一人ごちる藤代には、きっと絶対解らない感情だ。 趣味なんか持ってて一軍というのは妬みの対象にしかならない。 サッカーに一途だという印象を周りに与えておいた方が得策と言えるのだ。 藤代に関しては、絶対的なサッカーセンスが、他の者のコメントを有無を言わさず押さえ込んでいる。 例えば勉強が多少おろそかになっていようが、彼に文句を言う人間は少ない事もそうだ。 「…分かった。あ、渋沢が部屋に来いってさ。わらび餅作ってた」 「ホントですか!」 「あぁ」 渋沢がわらび餅粉が本物だとかキナコが国産だとかうんちくを並べてはいたが、甘いものが嫌いな自分にとっては全く関係がないことだ。 部屋を出ると、とりあえず学校に向かう事にした。 一時間だけだとか許可を貰って学校に行っているのだろう。 しかし笠井は玄関に居た。 「発見。ピアノ弾きに行ってたんじゃねぇの?」 「誠二情報ですか?そうだったんですけど、なんだか雲行きが怪しかったので戻って来たんです」 「ふぅん?」 ちらりと外を見ると確かに雨が降りそうな雲が厚く空を覆っていた。 「これから降るかねぇ」 「さぁ、どうでしょうか。でも、ぽつぽつとは降ってたんですよ」 他愛もない天気の話にほっとする。 笠井は安心できる場所だった。 「なぁ竹巳」 名前で呼んだ。 「屋上行こう」 「三上先輩、使用中になってますけど」 タオルが掛かっていた。 「ん?俺が用意周到って知ってるだろ?」 「…まさか」 「俺が晩飯終わったらすぐに掛けといた」 「…それってルール違反…」 「ま、俺だし?」 ちょっとしたルール違反。 そうまでして二人屋上に来たかった訳。 「今日七夕じゃん?」 「…まぁ食堂のおばちゃんのご好意でクズの和菓子が夕飯に出ましたけど」 おばちゃんは割と行事ごとに敏感に反応してメニューに反映してくれる。 「俺は近藤にやったけどな。んで、まぁたまには行事に参加してみようかなぁと」 「…はい?」 「竹巳と天体観測でもするかなってこと。いつもやってることと変わんねーけどな」 「意外とロマンチックなこと思いますね先輩」 三上は吹き出して笑って、ドアを開けた。 「でもま、あいにくの天気ってことか」 湿っぽい空気、分厚い雲。 身体が重くなる。 ぽつ、ぽつ、と雨が降っていた。 コンクリートに跳ねて、じわじわと染み込んでいく。 白が灰色に染まっていった。 「濡れんの嫌か?」 「別にいいですよ。どうせこれから風呂ですし。そもそも先輩戻る気ないでしょ?」 イタズラをするような顔で笠井は三上を見上げた。 「まーな。それより二人でいる時は亮って呼べって」 「難しいこと言わないで下さい」 「俺命令」 「…はぁ」 雨に濡れながら二人その場に座り込んだ。 半分はドアに背を預けて。 もう半分はお互いの肩に預けて。 「亮って呼んで?」 「…亮」 半分を全部にして。 こてん、と笠井の肩に全部預けた。 もし俺たちが織姫と彦星みたいに一年に一回しか会えなかったら。 それすらも天気で左右されたら。 …どうなるだろう? ずっとお互い好きでいる自信なんてある? 「今年は織姫と彦星は会えませんでしたね」 「そうだな」 でも俺たちはここにいて。 三上は思った。 たとえ話なんかどうでもいい。 現に今俺たちは毎日のように会って、手をつないだりサッカーの話をしたり満たされてるから。 「重いですよ三上先輩」 「だから亮、て言ってるだろー?」 俺たちは織姫でも彦星でもねぇよ、と。 「織姫と彦星の代わり」 三上はそう言って笠井にそっと口付けた。
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