「みずのーぉ…、ごめんだけど」
「寝てろ。」
溜息を吐きながら、かばんから筆箱を取り出してノートを探して。
振り返ると小島は夢の世界へとすでに行っていた。
眠り姫との対決
部室の中、好きな人と二人っきり。そんな状況、嬉しいはずに決まってる。しかしそれは、自分たちのシチュエーションとしてはよくあることで、少しは慣れた。つもりだ。
教室ではちらりと横を見るとすぐに視界に入るし、割と自分と一緒に行動している。ある程度の抗体は身体の中に出来ているし、クールさを装う事も苦手ではない。
しかし。しかしである。
「…お前その無防備さは直してくれ…。」
一緒に行動しているのだから分かる。だからこそ分かる。うん、疲れてるんだよな。今日はやたらとハードだったもんな、俺と同じ以上の仕事量こなしてたもんな。手伝ってやると言うものならば逆にぶっとばされそうなくらい忙しかったもんな、小島。
しかしである。
お願いだからそんな顔して寝るな本当に頼むから健康に悪いって起きてくれ起きろ。
小島の表情はあどけなく、今日の寒さから頬は赤い。ほんのりと開かれた口元からは定期的に白い息が漏れている。寝言ほど大きくはない言葉にならない声がやけに艶っぽく、さらさらと流れる髪は机に張り付いて前より髪が伸びたことをこっそりと主張していた。目元と口元に添えられた手は半分制服の中に収まっており、細くて小さい指先を垣間見させていた。さながら眠り姫だ。
寝ろと言ったのは自分なのだが、どうも全てを信じきったような安心した表情は、俺の体温を上昇させるだけだった。仕事、やらなきゃいけない仕事があるのに。
そう、何にしろ仕事をしなければならない。えーと、I
must work.mustは助動詞で、訳は、〜しなければならない、だ。must=have
toで、三人称単数になったらhas toになるんだったよな、うん。
関係のない事を考えないと落ち着かない、小島に対する衝動が大きくなるというのが情けない。
しかしそれはそこそこ効いた。
落ち着きが胸に戻ってくるとノートを開けた。生徒会から配られた用紙に二学期分の予算を書き込んでいくという作業で、本来マネージャー業もやっている彼女の仕事なのかもしれないのだが横取りである。これ以上させると部室で寝こけるどころか倒れてしまう。独断と偏見ではあるが、こちらで作業してしまおうという考えだ。
そしてその仕事は小島が丁寧にノートにメモを取っていてくれているために、写し間違いさえしなければ比較的平坦で楽な仕事であった。
ほんとに、一生懸命全部完璧にしようとか思ってんだもんな、こいつ。
口には出さないが。むしろその口の悪さを直すともっと完璧ですよー。
呼びかけてみるも心の中で呼びかけてるだけで、これで通じたらテレパシーだ。
「…くしゅんっ」
「起きたか?」
本当にテレパシーか何かと勘違いしてしまうタイミングで小島はくしゃみをした。だがそれに答えない小島に、仕方なしにパーカーでも掛けてやるかと立ち上がる。小島の後ろを通り過ぎると、どことなく震えているような気がして風邪引いても知らないからなと頭でも小突きたくなってくる。仕返しが恐ろしいが。
すぐにロッカーの中から大きめのバスタオルが見つかった。その方が暖かいだろうと思う。触れ心地も良いはずだ。
窓ガラスはこちらからの光を反射している。青が混じった蛍光灯がじじじと頑張っている様で、もしかすると小島は震えていたわけではなく、この蛍光灯の光の加減でそう見えただけだったのかもしれなかった。どちらでもまぁ良い。今日は寒いから。管理作業員に新しい蛍光灯が必要だと言わなければならないかと、ごくまれにちかちかと点滅するそれを見つめながら思った。
タオルを広げてにおいを嗅ぐと、洗濯物独特の暖かいようなほっとするにおいが胸を支配する。小島が洗ったタオルだった。
伏せっている小島の肩にゆっくりとかけると、うんだかふにゅだか呟いて心地良さそうに身体を動かしたので一応安心する。
イタズラ心とでも申しましょうか。
欲求を抑える暇はなかった。
「――――……」
くんっ。髪を一房すくった。ゆっくりと息を吸い込んだ。心臓が走り出した。そのままそれを口に当てた。同時に落ち着いた。
つややかな髪へのキスは欲求を満たすどころか増幅させていた。汗ばんだ手に、爽やかな触れ心地。
いい加減手を離さなければ。
「ん…」
ばっ。慌てて手を離す。ほとんど抵抗もなく重力に従う髪。小島がまだ寝ているような気配から浅いため息を吐く。
もう一度タオルをかけ直してやり、雑務を再開するために席へ戻った。
「……水野…?私どれくらい寝てた?」
数分後、むくりと起き上がった小島に15分と答えた。予算書は書き終えていた。
「さて、帰ろうぜ。寝起きだから寒いか?」
大丈夫と返事があったので、そのままフォーメーションの話をして、いつもの所で別れるといういつも通りの帰路を取った。
今日の眠り姫との対決は勝ったのか?負けたのか?
欲求を抑え切れなかった時点で自分の敗北は見えていたが、そのせいで寝る時間が遅くなってしまったのは、負けたことのような気がそこはかとなくする。
髪に触れた手がまだ感触を憶えていて、その点では勝ったのかもしれないが、小島には小島が寝ていても敵わないと思った。
水野君やらしー(ぇ)<言わせているのは貴方です。
あんまり触れないのにどっきどきな感じは目指す所ですね。
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