「あきらー」
頬づえついてる可愛いハトコ。でもそんなこと言ったら怒るに決まってるから、こっそり思うだけにしよう。
北風と太陽と
飛葉中学校サッカー部の部室に、夕方6時過ぎまで残っていたのは翼と玲の二人だけだった。他の部員は玲が明日の試合のため早くに帰らせた。暮れなずんでいく暖かい日差しがゆっくりと窓から差し込んだ。
翼はふと直射日光を見てしまい、目の中にちらちらと残像を泳がせていた。玲は何回か前からの試合結果を見直している。
この時の敗因は何か、勝因は?偶然にでも何かゴールにつながったような動きはなかっただろうか、それを見落としてはいないだろうか?
最近のデータを客観的に見直すことによって明日の指示に活かせることがあるのではないか。
玲は真面目にプリントをめくる。一方の翼は実に暇そうにしている。今日に限って雑誌も何も手元にない。仕方なくサッカーボールをこねていたのだが、これは片手間にするものだ、と翼は思った。20分も30分もそれだけに手中することは、翼のサッカーレベルからいくと、飽きてくるのも当然だろう。
何にしろ玲が「もう少し」と言ったから部室に残っていたのであって、こんなにも長く居るとは思っても居なかったのだ。
「あきらー」
参謀は監督に呼びかけた。
「もう帰ろ、それ以上眉を寄せても何も出てこないよ」
と主張する彼に
「ええそうね、もう少し」
と彼女は返す。同じような問答を何度か繰り返す。やり出したら止まらない彼女の性格を翼は頭をかかえるほどに知っていた。
翼にしてみれば面白くないのだ。自分たちの勝利のためにやってくれているのは分かっている。でも色々な仕事が重なっている今、そこまで熱心になって欲しくないというのが本音だ。好きな女を目の前で倒れさせる趣味はない。守って、休ませてやりたいのに帰ろうと声をかけることしか出来ないのは情けないことこの上ない。
玲は手元に用意していたレポート用紙に何か書き物をしている。眉根は寄ったままだ。左手をこめかみに当て、ぐるぐると柾輝の名前に丸を付けた。
余計に面白くない。
面白くない、面白くない、退屈だ。
そんなことを考えているとどうも考えがマイナス方向に行くのが分かる。そして、更に面白くないと思うことを思いついてしまうのも、無理はなかった。そのきっかけは玲の手元にあるキャップ帽だった。玲が気に入っているブランドのロゴマークが小さく入ったその黒いキャップは随分と前から彼女が愛用しているものだ。ひょい、と机を乗り出してそれを奪うと、くるくると回した。
「何?翼。先に帰ってる?」
「これだけ待たせておいて良く言うよね」
玲は翼の顔を見て、苦笑した。もう少し、もう少しと言いつつも時間が経っているのは分かってはいるのだ。しかし莫大な量のプリントの束を持って帰る訳にもいかない。
「ごめんなさい、後5分にするわ」
翼はため息をついて、もういいけど、と机につっぷした。顔を横にして、鬱そうにぱたぱたとキャップであおいだ。
「玲ってこのキャップ好きだよね」
言われた本人はふっと顔を上げ、眉を通常の位置に戻した。きょとんとなる。どうしてそんなことを言うのだろう?
「…ええ、そうね。…それが?」
「別に」
年上のハトコとしては彼が生まれて以来の付き合いなのだ。
翼が拗ねている時はマシンガンを発動させないことを知っている。そして、彼が拗ねるのは親しい人間のみだということも。
手元の試合結果の資料からふと目を離し、彼のご機嫌ななめの理由を考える。他の男性からプレゼントされた、というものならば拗ねるのも分かる気もするのだが、そういう訳でもない。このキャップは自分で買ったものだ。一体何故だろう?
「あーきーら。また眉寄ってる」
翼は椅子から立ち上がった。きちんと椅子を机の中に直して、玲の眉根をつついた。
「俺明日絶対勝つから。帰ろ」
ついでに怒ってないよ、男がごねるのなんか格好悪いとばかりに微笑する。きっと畑兄弟が見たらお互い顔を見合わせて「何変なもん喰ったんだ!?」と声を揃えてくれるだろう、優しい微笑み。
座っている玲の横に翼は立っていた。目線はさすがに翼が上だった。
逆だった、と玲は思った。
「そうね、帰りましょうか」
微笑み返して玲は言った。
かたんと音を立ててゆっくりと立ち上がる玲。簡単に彼女は翼の身長を超えた。玲の顔を見ていた翼は苦々しく思った。
「ちゃんと大切に置いてあるわよ、部屋に」
玲は鞄にレポート用紙だけを入れて言った。
夕陽はもう紫から紺色に変わっていた。
傍から聞けば何のことだか分からないような言葉だったが、翼には分かった。
机の中に椅子をしまい、彼からその帽子を取り上げた。
翼は玲の後姿を見つめ、どことなく呆然としている。
彼のお姫様のような整った顔立ちが、若干崩れていた。
逆だった。他の男性からプレゼントされたわけではなくて。
翼からの。
振り返って彼女は最高の笑顔で言った。
「だって、もったいないでしょう?」
きゅ、と陽も暮れたのにキャップをかぶり直したそのしぐさを見て、やられた、と思った。
去年の彼女の誕生日にあげた、藍色のキャップ。
それを使ってくれないハトコにどことなく感じていた憤り。
それが一気に吹き飛んでしまうような言葉を発してくれるあたり、彼女はズルイと思う。
イソップ物語にあった、太陽と北風の話を思い出してしまった。
自分が北風というのはあんまり気分のいいものではないが、マシンガントークと呼ばれるそれで、人に泡を吹かせる自分とは違い、太陽のように暖かく攻めて旅人に上着を脱がしたように、彼女はやすやすと翼を負けさせたのだ。
あの童話では太陽は北風を負かせたが、旅人でもある翼は完敗だった。
「いつまでもやられっぱなしは悔しいんだけど」
また頭をかかえて鞄を用意した翼に勝算はあるのか。
とりあえず彼女が家に帰って睡眠を強いられるのは間違いないようである。
悔し紛れにこんなことを不敵な笑みを浮かべつつ言うのが精一杯だ。
「なんなら膝枕がいい?」
ツバアキミニ祭参加品。
前から素敵なお話が沢山あるサイト様だと日参させて頂いていたのですよ…!
拙い作品ですが、読んで頂き嬉しいです。
ありがとうございました。
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